2025/07/29 01:59


猫の目工房base店へようこそ♪

お久しぶりでございます。

はじめましてのお客様もご覧いただけたら嬉しいです。

当初はタティングレースという手芸の専用のお道具のひとつでシャトルという糸を巻いて使うもののお店として9年ほど前に開店いたしました。その頃のシャトルは無地のものが主流で(今もまぁそうなのですが)当工房で作っている樹脂製のミルフィオリを極薄にスライスし装飾した主に花模様のシャトルが幸せなことに国内外のタティングレース愛好家の皆様にお喜びいただき200種類以上を作らせていただくことができました。

そのようなありがたい日々の中、夜中に突然腹痛に見舞われ救急搬送されまして急性の左右卵巣茎捻転という病で命に関わるということでその日に緊急手術。入院中にそれまで気が付かないでいた癌細胞が活気づきどんどん膨れ上がってしまい一気にステージ3Bという大きさまで成長してしまい、お腹の手術の3カ月後にまた大きな手術を経験しました。幸いなことに外側に成長してくれたため右胸と脇の下のリンパをすべてきれいに全摘することで命はながらえました。ただ大きな手術が続いたため体力がなかなか元にはもどらず、手術後にはじまった抗癌剤治療では何度か意識が混濁したり高熱で倒れたり。担当医師からは何度も死の境目まで行ったけどよく戻れたものだ。と。。。(なかなかひどいことを何度も言われたものですが、他へ行く勇気も力も気力もありませんでした)抗癌剤は1番強い種類だったそうで2回目をうったあと点滴をさす血管がダメになり、白血球量も回復してこなくて高熱で意識が遠のいたりでしたので、しばらくは抗癌剤を休んで血管が使えないから心臓へポートをつなぐ手術をしておこうと左の鎖骨下あたりにポートというものを仕込む手術をしました。その術後2週間くらいしてから抗癌剤治療が再開され、紆余曲折を経て6ヶ月で終わるはずのものが10カ月を要しました。抗癌剤が終わると患部に放射線をほぼ毎日30日くらいでしたでしょうか充てる治療へとかわり、ほぼ毎日通院しました。

お腹と胸の手術をして約1年の間、力が入らないし入れると激痛という毎日で、大好きな粘土をこねるという作業が今までの10分の1の量でさえ悲鳴を噛みしめての作業でした。でも手術翌日から動かすと激痛ではあるけれど動かさないと固まって手を上げられなくなると言われていたので退院までの間に左手の補助ありだけれどまっすぐあげられるまでになったのだから粘土を諦めたくなくて少しずつがんばったものです。

色々端折ってしまいますが。。。

何度も死を意識せざるおえなかったからか?作風が一変いたしました。病に一応勝利できたからなのか?使い続けたい素材は同じであっても作りたいものに変化が起こりました。

ミルフィオリと言われるベネチアンガラスでよく使われている金太郎飴のような模様棒を樹脂粘土で作ることは一緒なのですが、長年避けていた立体作品を無意識に作りはじめました。

1番はじめは目にガラス玉を仕込んでいましたが、なにかが違っていて。。。

そう。なんというか。。。視線がなんとなく返ってくる感じで穏やかで、でも、うっすら愛嬌というか、個体ごとに個性がちがう作品を作りたくて仕方がなくなっていました。

一心不乱になにかに集中することも大切だけれど、一瞬の休憩も心身の健康にはとっても大切だから、そばに置いてもらえたらこの子たちからのなんとなくの視線に気がついたタイミングで深呼吸してほしいという願いをこめています。

作品画像はできる限りたくさん撮影して詳細ページへ載せておりますので、ゆっくりご覧いただけましたら幸せです。


追記:手術から無事7年という歳月が過ぎていき、経過観察期間はあと3年となりました。今では気力も体力もちゃんと考慮しつつ、たくさんの方々のおかげで大好きなモノづくりを主たるお仕事として続けることができております。ありがとうございます。これからも頑張りますので、よろしくお願いいたします。